第三回 カレー沢薫の労働と日々

会社員兼漫画家・コラムニストのカレー沢薫さんが、働くことの意味と意義と徒然をイラストとエッセイで綴る連載。第三回のテーマは「原点回帰」。

今回のテーマは原点回帰で、仕事とファッションにしましょうか、と担当に言われた。

三回にして原点回帰、このように私の連載は始まって数回で、回帰や方向転換を求められることが多い、暗礁に乗り上げるのが早すぎだ。

 

私の幻覚でなければ、数年前、某企業が、働く女性を応援すると称して「職場の華になろう」というCMを流し炎上したような気がする。

 

このCM、もしくは私の幻覚には、ジェンダー論以前にも問題がある。

世の中には、男女問わず「その場の華」であることが仕事という人が存在する。

そういう人たちは、華になる対価として報酬を得ているのだから、当然、華として振舞う義務がある。

しかし、一般企業のオフィスで働く人間の業務内容に「華」と記載されているのはケース稀なはずだ。

よって、そういう人間に「華になれ」というのは、業務外労働を強い、手当もつけず、さらにそれにかかった費用は自己負担という、サービス残業以下の所業である、少なくとも全く応援してない、いらぬ仕事を増やしただけだ。

 

しかし、他人の華になる義務はないが、己の心を華やがせるために、オシャレをするというのは良いことである。

私も夜冷凍庫にみかんを入れると「明日は冷凍みかんが食べられるから、それまでは生きる」という希望がわく。それと同じように、会社爆発しねえかな、と思う夜でも「明日は新しい靴を履いて行こう」と思えば「明後日まで爆発しなくて良い」という前向きな気分になれるはずだ。

 

世の中には、人のオシャレを「モテようとしちゃって」と、何故か、他人、特に異性の目を意識してやっていることだ、と決め付けたがる人間がいる。

そういう人間には、お気に入りのファッションを見せるのも勿体ないので、すぐさまトゲつきの革ジャンに着替え、せっかく巻いてきた髪も残念だが一旦モヒカンにしてジープで轢こう。

他人の目を引きたくてやっているファッションであろうとも、それは自分が気を引きたい相手へ向けての物だ。

 

よって「職場の華」つまり、不特定多数の他人を気分をよくさせるためにオシャレしましょう、と言われたら嫌だろう。

しかし、無駄に反発して、誰が華などになるか、俺は職場の水垢になる、と、現おばあちゃんの部屋着、元自分の中学のジャージを着ていくのが良いとも思えない。

誰かのためのファッションをする必要はないが、仕事に対する自分のモチベを上げるためのファッションや自己表現のためのファッション、というのは考えて損はないはずである。

そうは言ってみたものの、実は当方「私服で公の場に通った経験」というのが専門学校時代の2年ぐらいしかない。高校までは制服だったし、社会人になってからもずっと制服だ。

保育園も私服だったかもしれないが、そこで常軌を逸した格好をしていたとしてもそれは親の責任なので不問にしていただきたい。

 

専門学校に入学したとき、それまで制服に甘んじていた私は、突然週5、私服で公に出ろと言われ完全にファッション迷子になったし、そもそも手持ちの服がなかった。

よって、高校時代、制服の上に着ていたセーターで行った。そのセーターは、50代ぐらいの男性教師が全く同じものを着ており「おそろいだね」と笑いあった一品だ。ちなみに値段は1000円。

 

そして一年ぐらいたったころ当事の担任に「最初見たとき『ヤバいタイプの子だ』と思ったが意外に普通だった」と評された。

このように、最初ヤバいと、普通なだけで評価される、という上級ファッションテクで専門学校時代を乗り切った私だが、おそらくこのテクニックは10代までだ。

社会で、一回「ヤバい奴だ」と思われたら永遠にヤバい奴のままな可能性が高い。

 

よって、会社など、大人になってからの公ファッションは「好きな服を着る」「個性を出す」部分と「社会人としての常識」との兼ね合いで考えていかないといけないということになる。いくらオシャレで個性的でも、取引先などに「ヤバイ」と思われるようではダメだ。

 

社会人の服装に求められるのは、第一に「清潔感」である。

しかしそれも、まめにクリーニングに出しているパリっと糊の効いた、スパンコールの全身タイツなら良いというわけでもない、打ち合わせ相手の目がチカつくファッションは社会人として良くないからだ。

 

よって、残念ながら、多くの場合、仕事上のファッションはある程度、地味さ、無難さ、が求められてしまう。

しかし、だからと言って、オシャレや個性を出すのが不可能ということもない、つまり職場でのオシャレに必要なのは「さりげなさ」だ。

ワンポイントでいいから、こだわりや、お気に入りのアイテムを取り入れる、冷凍庫にあるみかんのように、ひそやかで自分だけが知っているようなものでよい。

 

自分のためのファッションなら、そのこだわりを他人に気づいてもらえなくても良いのだ、さりげなくも自分の心がギンギラギンになることが大切である。

 

 

 

上手くまとめたつもりだが、上記の表現、どのぐらいの人間に伝わるのか一抹の不安が残るところだ。

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